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Archive for 10月, 2009

熱に弱いのは私だけでしょうか?

カゼをひいてしまいました。インフルエンザではなかったのですが、 咳が続いてなかなか止まら

ず、遂にはみぞおち周辺が痛くなり、続いて肺が痛くなるほどでした。

去年は、同じ時期にカゼをひき肺炎にまでなってしまいました。

幸い今年はそこまでは行きませんでしたが、どうも3年前に胃の手術をしてから抵抗力が弱くなっ

てきたのか、年に何度もカゼをひくようになりました。

引き始めるとすぐに脇の付け根や太ももの付け根のリンパ節が腫れて痛くなり、熱が出ると「青菜

に塩」のようにぐったりしてしまいます。

痛みには強いほうですが、平熱から少しでも熱が出るととたんに元気が無くなり、皆の前で死に

そうにしんどい姿を見せつけてしまいます。

妻からは「何でそんなに熱に弱いの?」と、こばかにされますし、子供からはいつものことのように、

ほったらかしにされます。

肺炎になった去年は、熱にも咳にも苦しめられて本当にしんどかったのですが、気分転換のため

に子供たちに頼んで、妻の職場に「早く帰って看病して!」メールと共に、私の苦しんでいる姿を

写真に撮ってもらい添付して送りました。

しかし、何の返信も無く、いつもの時間に帰ってきた妻には私の添付写真を職場の同僚に見られた

と逆に怒られました。それも怒られても仕方なかったのですが、子供と冗談も含めて、体温計をお

尻に突きさして(勿論パジャマの上からですが)変顔をしている写真でした。

本当にしんどい中でのユーモアのつもりでしたが、妻にはまったく通用しませんでした。

男のユーモアは女性にはなかなか通用しないものなのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

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「障害者」は「生涯写」?

日本理科化学工業と言う会社や、ダイキン工業と言う会社が最近障害者の方達が多く働く職場とし

て、本やTYでよく紹介されていますね。

障害者の雇用率が70%を超える企業としても、また離職率の低さも突出して、他の企業とは群を

抜いているのは言うまでもありませんが、それを実現しているのは、働いている人たちの会社に対

する満足度や仕事に対する充実度が他社とは、大きく違っているのではないかと、つくづく考えさせ

られました。

会社の経営も共に、数十年に年に渡って確実に右肩上がりを継続し、苦境に至っても、安易なリス

トラを取らず従業員を成長させ、業績を伸ばしているなどは、私のような小さな事業の経営者にとっ

ても大きな学びになりました。

私は評論家のように、この会社の経営方針や社長や従業員の方たちの思いや努力を、簡単に分

析し、評価することは出来ません。

また、すべての会社がこのようにしなければとも思いません。

会社も人も社会も千差万別で、評価も時代や流行的な考え方で左右されるなど、不確定なものだ

と思うからです。

けれど、障害者と呼ばれる人たちによって、この会社の経営者の方たちは共通して、考え方を変え

られたと、語っておられました。

 実は私は一卵性の双子で、50代のおっさんがそっくりの顔をしているのも、とてもキショク悪いの

ですが、そのj片割れの兄弟が、宇治で障害者施設の園長を仕事としていますので、障害者の方

たちとも、折に触れて接する機会があるのですが、この「障害者」って言う言葉は、私は好きではあ

りませんし、漢字も何か嫌ですね。

人間を美化するつもりはもうとうありませんが、障害者と接すると、善し悪しは別として、自分自身を

映し出される鏡のような気がしてきます。

彼らは他意も無く自然体ですが、接する人間の本質があぶり出され、メッキがはがされそうです。

そう言う意味では、「障害者」の方たちは「生涯写」と言う漢字に変えてみてははどうでしょうか?

そんなことを考えさせられました。すこしエエカッコしすきでしょうか?

 

 

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気配り、心配りできるかな~~?

今日、女優の南田洋子さんが亡くなられたニュースがTVで流れていました。

私の年代では有名なご夫婦だったので、感慨深いものがありました。

長門さんご夫妻のように高齢化社会の中で、これからも大きな問題として考えさせられるのは、

老々介護の実態だと思わされました。

決して人ごととは思えない問題で、私にとっても妻にとっても、年齢とともに認知症や寝たきりの病

気が起こらない保障はどこにもありませんし、また何時起ってもおかしくないとも言えます。

どちらかが、寝たっきりになったらどうして介護していくのかなど、漠然とした不安がよぎります。

私の父は62歳の時に、急性前骨髄白血病という病で、入院してから1ヶ月ほどで亡くなりました。

それから、母は14年後に72歳で糖尿病からくる心筋梗塞で亡くなりました。

父が亡くなってからの母は、いつも口癖のように「寝たっきりになったり、ボケてしまって皆に迷惑は

かけたくない。」と、私たち子供によく話していました。

その母は、亡くなる日の夕方に実家の2階で倒れ、そのまま救急車に運ばれ、夜には応急処置の

甲斐も無く天に召されていきました。家族にとってはアッと言う間の出来事でした。

そのさまは、生前の母の願い通りに、まるで自分の死期が分かっていたかのように、亡くなる数日

前には遺影用の写真を撮って用意していたり、前日からその翌日まで、突然、自分の持ち物をき

れいに整理しだし、自らの靴を玄関に揃え、2階に上って、服を整理してタンスに仕舞っていた最中

に倒れたのでした。

死に際が良いと言ったら御幣がありますが、今考えると、私たち子供に迷惑がかからないようにと

の、母のこころ配りがあったのかと思わされました。

気配りは案外目に見えて気づきやすいことが多いと思いますが、こころ配りは目には見えにくく、

その時は気づきにくいことが多く、後になってしみじみと感じられてくるようで、心の中に染みてきま

すね。どちらかに優劣をつける気はサラサラありませんが、このニュースを聞いて、夫婦の中や家

族の中で、また社会や仕事の中で、私にとっては気配り心配りを、もう一度考えさせられる出来事

でした。

 

 

 

 

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し・あ・わ・せ・でした~~!

私の家族は男ばかりの五人の息子がいる事は何度もブログに書いているのですが、年頃になるとそれぞれ彼女も出来て、親に紹介してくれます。

中でも、次男坊の彼女がよく二人で狭い我家に遊びに来て、一緒に食事をしたりしているのですが、

彼女はある有名なイタリア料理店で働いていまして、先日その店の食事券をプレゼントしてもらい、私たち夫婦二人で食事に行くことになりました。

夫婦二人で食事に出かけることはめったにないことで、楽しいひと時が過ごせればとウキウキしていました。

お店の雰囲気も良く、コースの料理もとってもおいしくて、妻との会話も弾み、家にいるときとはまた違った新鮮な時間を過ごすことが出来ました。

お店では家に遊びに来る時の彼女とはまったく違った感じで、料理の説明や飲み物を注いでくれるしぐさや、屈託のない笑顔にプロの仕事を感じ

感心させられました。

私は調子に乗って少し飲みすぎましたが、またひとつ楽しい思い出が与えられて、本当に幸せなひと時を過ごすことが出来ました。

食事の楽しみは、おいしい物を食べることだと言われますが、しかし、誰と一緒に食べるかによって味の印象は大きく変わってくるとも言われます。

私たちにとっては、あの日の一日は息子の彼女が一生懸命に働く姿やプロ意識に感動し、妻の楽しそうな笑い声を聞きながら、本当に楽しいひと

時を過ごすことが出来、幸せな一日でした。

 

 

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草は枯れ、花はしぼむ!

先日、私の知人が突然亡くなられたと聞かされ、あわてて友人と待ち合わせてお通夜にそして、 

ご葬儀にと足を運びました。40代後半とまだまだ若すぎる年齢での病死です。

故人の闘病生活の苦しさや、残された家族の悲しみはどれほどかと、考えさせられた一日でした。

私自身も、丁度3年前に進行性の胃癌の診断を受け、急遽入院させられ、すぐにでも手術を受

けざる得なくなりました。

また悪いことに検査の結果は転移しやすい癌だと宣告され、他の箇所に転移が無いかが心配され

ましたが、どうにか転移は見られず、癌の切除手術を受け、胃の四分の三近くを取り除き、事なき

を得ました。

しかし、本当に大変だったのは術後の後で、今までの職場は解雇になった為、6ヶ月後にはアルバ

イトを見つけて働き始めたりとか、人生に不安を覚えたりとかの中で、目まぐるしい3年間があっと

言う間に過ぎていきました。

人それぞれ人生は違いますが、人の死を通したり、大病やまた大きな試練を通してしか、本当に人

生を振り返り生きることは何かと考えたり、また現実に真摯に向き合ったりすることが出来ないの

は、人間の持つかたくなさや、またその反面の弱さかも知れませんね。

死とか病気とがもたらす困難は、当事者本人は勿論ですが、身近な家族にとっても同じように大き

な問題として降りかかってきますね。

私の妻もまた子供たちも、当時はいろいろと苦しみ悩んだと思いますが、しかし、それぞれに考えて

心にいろいろと示されたことはあったと思います。

だからこそ病気や死を、勝ち負けで語るのは短絡的過ぎると思います。

受け止めて、向き合って、考えていく、そう言う時が人間にとっては必要なのかも知れませんね。

人生はわたしには難しすぎる、悩ましい問題です。

そんなことを新たに考えさせられた出来事でした。

 

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50年前の台風一過(一家)?

先日の台風は近畿地方を直撃し、各地に多くの被害を与えていきました。

京都にも影響が大きいということでしたが、幸いに被害も少なく上陸したその日の午後には、

秋の晴天が訪れていました。

被害を受けられた方々には不謹慎と思いますが、本当に京都には台風の被害はありがたいこと

にあまり出ませんね。

しかし、今から50年前の伊勢湾台風の時は、京都にも多くの被害がありました。

当時の私は、6才で小学校に入学したばかりで、台風の恐ろしさなど何も分からず、大きな台風が

来ることで学校が休みになることを、楽みにしていました。

台風の前日に父は家に被害がでないように、窓や壁に板を打ちつけ、屋根瓦が飛ばないようにいろ

いろと養生をしていた記憶があります。

いよいよ台風が襲ったその日の昼から風と雨が突然強くなり、人が前に進むことが出来ないほど

の強風が吹き荒れて、夕方には近所一帯が停電し、暗い部屋の中でちゃぶ台の真ん中にローソク

を一本立てて、その周りに家族8人が寄り添うように集まり、夜を過ごしたその一瞬の場面だけを、不思

議に今でも鮮明に覚えています。

今では56歳の壮年になり、5人の子供に恵まれた父親となりました。

その当時の会話は何一つ覚えてはいませんが、その時の雰囲気はハッキリと覚えているのです。

考えてみると当時の鮮明によみがえるあの時の場面が、今の私の家族の原点だったかもしれませ

ん。小さなちゃぶ台を中心に、8人家族が寄り添っている。

決して裕福ではなかったけれど、暗闇の中で薄ぼんやりと輝くローソクの灯の中でも、ほんのりと

したぬくもりが感じられた一瞬。

窓の外では強風が吹き荒れていても、不思議な安心感に満たされていたあの時の場面が、幼い子

供だった私の心に「家族」と言うものが漠然と心に刻みつられたのかもしれません。

温かみとか、安心感などは眼にはみえませんが、しかし、確かに心に伝わっていくことだけは自分

の幼い時の体験からも確かなことだと、改めて考えさせられた、ひと時でした。

 

 

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